2004年1月16日「浦佐毘沙門堂の裸押合の習俗」が、「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選定されました。

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裸押し合い大祭 由来

三月三日夜、深雪の中で行われる裸押合祭は日本三大奇祭のひとつと云われ、「北越雪譜」の中にもその当時の祭典の様が記されている。

  今から約1,200年前(大同2年)、将軍坂上田村麻呂がこの地に御堂を建て守護仏の毘沙門天王を祀って、その将軍や村長、村人と共に国家安隠を祈願し、併せて五穀豊穣、家内安全、身体健康を祈り祝宴の中で歌い躍って士気を鼓舞した事に起因するものと推察される。その後、毘沙門天の霊験のあらたかさと幕府の庇護にあずかったことにより歳々、参拝者が多くなっていった。

  古くは毎年正月三日に行われてきた行事が、何時の頃からか気候風土その他の関係によリ現在の三月三日におこなわれる様になった。昔は、年一回初詣の正月の三日に御堂の唐戸を開き御本尊様の御簾を開帳して行われる行事に、毘沙門天を信仰する人が各地から集まり賑わいと混雑を極めた。その多くの信者が他の人より早く参拝しようともみ合い押し合うその暑さと、年頭にその年の除災招福を願う心から水浴後参前する。これらの事が交じり合って次第に裸になる者が多くなって、何時の代にか全員裸で御本尊に額ずく様になり今の押合祭に受け継がれている。

  昔、村の男性は総出で祭典の行事に奉仕し、特に「若者連中(現:多聞青年団)」と呼ばれた青年は祭典について準備、警護、警戒その他行事の進行等に参加し、その活動のめざましさは衆目をみはらせ、信者各位に感謝され村人の称賛の的となった。この行事は終始毘沙門天王を中心に仰ぐ信仰集団(信者、若者連中、村人等)によって毎年厳粛に行われ現代に至っている。


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